前回の投稿の続きになります。
まだお読みでない方は、まずはこちらからお読みください。
前回は、数ある星座の中で神様はなぜ、これほどまでに力を込めて完璧にさそり座を描いたのか、という私自身の疑問について、想像していることがあると書きました。
今回のこの写真は、さそり座の主星アンタレス付近の拡大で、時間をかけて撮影し丁寧に処理したものです。
星の写真仲間の間では「カラフルタウン」と呼ばれており、全天でも有数の色彩豊かな領域です。(私の機材の問題で、輝星のゴーストが出てしまっています、ご容赦ください。)
とても美しい造形で、偉大な芸術家である神様の御業を讃えずにいられません。
しかし、ここで話したいポイントは、そこではありません。
このエリアはさそり座の心臓、つまり胸部に位置します。
普段から聖書を読まれている方は、何かお気づきになりませんか?
私は以下の聖句に書かれてある、ヨハネがまぼろしの中で見た光景と酷似していることに気が付き、しばし言葉を失いました。
なぜならこのカラフルタウン、とても淡いので肉眼では決して見ることができず、聖書が書かれた時代に、星空を見ながらそれに合わせて物語を創作するのは不可能だからです。
そして、まぼろしの中で、それらの馬とそれに乗っている者たちとを見ると、乗っている者たちは、火の色と青玉色と硫黄の色の胸当をつけていた。そして、それらの馬の頭はししの頭のようであって、その口から火と煙と硫黄とが、出ていた。
(ヨハネの黙示録9章17節)
火の色 = 赤
青玉色 = 青
硫黄の色 = 黄
なので、さそり座の胸にあるこの造形は、聖書の騎兵の胸当てに特徴が一致します。
また、同じヨハネの黙示録9章の前半に登場するいなごの群れには、さそりのような尾と針があると書かれてあり、さそり座との関連を仄めかしているようにも思えます。
その上、さそりのような尾と針とを持っている。その尾には、五か月のあいだ人間をそこなう力がある。
(ヨハネの黙示録9章10節)
前回も書きましたが、神様は数ある星座の中で、このさそり座だけ特別に力を入れて描かれており、これには必ず何かの意味があるはずです。なので私は以下のように考えました。
と言うか、こう考えざるを得ませんでした。
神様は天を創造されたときに、「ここに注目しなさい」「ここに真理が隠されている」というメッセージとして、さそり座を特別に描かれ、その中に密かに特別な造形を置かれた。
終わりの時代に、人類が初めて見る光景が、聖書の中にあらかじめ記されていたことに気付き、以下のことを悟るためである。
●神様は確かに存在している
●天は神様の被造物である
しかし、疑問も残ります。
聖書の中でこの胸当てをつけていたのは騎兵であって、さそりではありません。
ハッキリと人類に悟らせたいならば、騎兵ではなく、さそりのような尾を持ついなごが、この胸当てを付けているべきです。
この点を指摘して、こじつけだと考える人もいることでしょう。
実は私も、前回の投稿の時点では、確信がありませんでした。
なので投稿の最後に控えめな言いまわしで「想像していることがある」と書いたのです。
しかし、神様に祈りながら投稿を書いているうちに、やはりこの考えが間違っていないのではないかと考えるようになってきました。
その理由については、また次回お話ししたいと思います。
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