首里城の謎、その2
~彼らは方向を知っていた~

首里城の謎、シリーズの第2回になります。
「その1」を読まれていない方は、先にこちらをお読みください。

首里城の謎、その1
~ユダヤ人による琉球支配の象徴か~

前回の記事では、首里城の正殿の正面方向を延長すると、福建土楼群に行き当たることなどから、「首里城はイルミナティのシンボルであり、ユダヤ人による琉球支配の象徴である」という私の考えを示しました。

今回からは、私がどのようにしてこの結論にたどり着いたのか、説明しながら解き明かしていきたいと思います。

まず、私がどうしてこのことを調べようと考えたのか、そのきっかけとなったのが兄弟姉妹のこのツイートです。

前回の投稿の後半で書いたように、かねてから首里城には何か秘密が隠されていると感じていましたので、この「西向き」という言葉に私の触手が敏感に反応しました。

確かに西向きですが、中途半端な方向を向いている。
もしかして、そこに秘密が隠されているのではないか、そう考えました。

それで、まずはGoogleEarthで、首里城がどの方向を向いているのか、大雑把に調べました。
すると、その延長線は台湾の北を通って、福建省泉州市の海岸に至ることが分かりました。

そこで泉州市についてwebで調べると、Wikipediaに以下のように書かれてありました。

Wikipedia「泉州市」より

「泉州は琉球からの貿易船の指定港でもあり、商館「来遠駅(泉州琉球館)」があったが、1472年に福州に移った。」
とあります。

貿易船の指定港ということは、中国(明)の玄関口ということになります。
その方向に正殿が向いていることには、何らかの意味があるような気がします。

しかしそもそも、正確な地図がなかった時代に、泉州市の方向を知る術があったのか。
それがなければ、ただの偶然ということになってしまいます。

そんなことを考えながら、食い入るようにこの地図を眺めていた時です。
私の脳に、とても重要なあることが閃きました。

なんと、この時代でも泉州市の方向を知る方法があったのです。




琉球と中国を結ぶ航路

コンパスと星だけを頼りに、帆船で沖縄-中国間を航海することを想像してみてください。
あなたならどのようなルートを選ぶでしょうか。

GoogleEartにて作成

①のように最短コースで行くことも考えられますが、陸が全く見えない状態で長い距離を帆走すれば、正しいコースからズレて自分の位置を見誤る危険が高くなります。

往路は多少コースからズレても、中国のどこかにたどり着くことができますが、復路は島と島の間をすり抜けて太平洋まで出てしまうかもしれません。
そうなると陸にたどり着くことができなくなり幽霊船になって漂流するしかなくなります。

遠回りになっても、②のように途中の島々が見えるルートの方が、島を確認するたびにコースを修正することができるため、安全に航海できるはずです。

そうすると、

沖縄島-宮古島-多良間島-石垣島-西表島-与那国島-台湾-中国

というルートが、当時の定番の航路だっただろうと考える人が多いと思います。
私も当初はそう考えていました。

しかしこの考えは間違えでした。

なんと、さらに優れた第3のルートが存在していたのです。
私が閃いたのは、このことです。



理想的な『海上の道』

もう一度、地図をよく見てください。
沖縄から泉州市に向かう直線上には、小さいながらも島が点在しています。

GoogleEartにて作成

沖縄島-慶良間諸島-久米島-大正島-魚釣島-彭佳嶼・綿花嶼-花瓶嶼-台湾-泉州

わざわざ宮古島や石垣島などを迂回しなくても、安全に一直線(注1)で泉州に向かえます。

距離的には②のルートよりも少し遠いのですが、それは目的地を泉州市にしているからです。
台湾の北で方向を変えて、福州市へ向かうなら、②よりも短縮することができます。

そして、このルートが最も優れている点は、船を進めるべき『方向角』が常に一定だということです。

これにより、風が同じ方向から吹いている限り、帆や舵の調整は最小限で済みます。
また、未熟な航海士でも角度を測り間違える危険性はゼロです。
これは航海する上で大きなメリットです。

おそらく、富を求めて危険を顧みずに海原に漕ぎ出した船乗りたちは、成功と失敗の長い経験の中で、沖縄と中国を結ぶこの理想的な航路、いわば『海上の道』を見つけ出していたのでしょう。

明の時代に泉州市が貿易船の指定港となったのも、それ以前から民間の船が利用していた既成事実を踏襲した、と考えるのが正しいと思います。

そして最も重要なことですが、
『このルートの方向角こそ、首里城から泉州市へ向かう方向』
に他なりません。
彼らは泉州市の方向を知っていたのです。



正殿の方向は間違いなく『海上の道』を示しており、
泉州市の方向には何かが隠されている

確認のため、正殿の正面の方向と、首里城から泉州までの方向を、詳しく比較してみました。

まず、正殿の正面方向ですが、これは正殿の発掘調査時に基準としたグリッドの方向から算出しました。
(参考:首里城跡 正殿地区発掘調査報告書 沖縄県埋蔵文化財センター 2016)

首里城から泉州までの方向は、両地点の緯度経度から、等角航法での角度を算出しました。
なお、泉州側の地点は泉州市政府の建物の位置としました。

方向角は真北を0°として東回りに360°の角度で表します。
真西は270°ということになります。

その結果がこれです。

  正殿の正面方向      261.10°
  首里城から泉州の方向   260.65°
     差          0.45°

その差わずか0.45°。
これは、千キロメートル先でのズレがたった8キロメートルしかないという、驚くべき精度での一致です。

船やヨットを操船した経験がある方なら、この精度がどれだけスゴイのかお分かりになると思います。
当時とは比較にならないほど精度や使い勝手が向上している現代のコンパスを使っても、これだけ高い精度で角度を維持しながら操船するのはほぼ不可能です。ただ舌を巻くしかありません。

おそらく、潮流や船の特性を知り尽くしたベテランの航海士たちが、何度も往復して導き出した数値でしょう。

疑う余地は全くありません。
正殿は間違いなく泉州市の方向、すなわち琉球と中国とを結ぶ『海上の道』を指し示しています。

逆に考えるなら、これ以外の方法、例えば風水や地形的な制限から割り出した正殿の方向が、偶然にも『海上の道』の方向にピッタリ一致する確率は極めて低いはずです。
つまり、正殿の方向は風水も地形も全く関係ないということになります。


さて、琉球王国と言えば、海上交易で繁栄を極めた国とされています。

海上交易の象徴、進貢船 Wikipedia「進貢船」より

その象徴でもある王の居城が『海上の道』を指し示しているとすれば、それはむしろ自国の誇りとして内外に積極的にアピールされていても良いはずです。

しかし、歴史書にはそのようなことが書かれてありませんし、現代に至るまで誰もそのことに言及していません。

そして「風水が関係している」とか「敷地の形状に合わせたようだ」と、曖昧な情報がまことしやかに語られています。

もちろん、彼らは知っていますし、あえてウソの情報を流しているのでしょう。

『正殿がこの方向を向いていることには理由がある。
 しかし、そのことを詮索されたくない』

と、言うことですね。

泉州市の方向には何かが隠されている。
私はそう確信しました。



泉州市から福建土楼群の方向はどのように知ったのか?

さて、私が福建土楼群の存在に気付いたのは、だいぶ後のことになります。

話が前後しますが、泉州市から福建土楼群までの陸路200キロメートルほどの方向の割り出し方が解かれば、角度についての謎がすべて解けますので、ついでに説明しておきます。

これにもちゃんと答えがありました。
驚いたことに、首里城が築城された時代以前に、中国にはかなり正確な地図が存在していたのです。

石に刻まれた「禹跡図(うせきず)」と呼ばれるもので、宋の時代、1136年に造られたそうです。

禹跡図と現代の河川地図を並べて載せておきますので、比較してみてください。

(左)禹跡図 https://map-freak.com/yu-ji-tu/ より
(右)中国河川地図 https://www.allchinainfo.com/map/asia-china/china_river/ より

多少の歪みや怪しい箇所はあるものの、河川や海岸線の曲がり具合、河川の合流点の位置関係などがほぼ正確に描かれています。
だいたいこの辺だろうと適当に描かれたものではなく、測量に基づいた地図であることは間違いありません。

しかも、南北は現在のベトナムから内モンゴル自治区、東西は東シナ海から新疆ウイグル自治区あたりまで、およそ2500キロメートル四方の広大な範囲を網羅しています。

これだけの地図を作る技術があったならば、泉州市から福建土楼群までの方向を知っていたとしても何の不思議もないでしょう。

それに、初渓土楼群と同じような福建土楼群はこの周囲に点在しています。

福建土楼群の分布と首里城・泉州市の方向(GoogleMapとこちらから作成)

なので、少し大雑把に「泉州から見て福建土楼群の多い範囲が、西から西南西の間ぐらいの方向にある」という程度の情報があれば十分だと思います。

以上で、首里城から福建土楼群までの方向を彼らは知っていた、
ということがお分かりいただけたと思います。

では、次回をお楽しみに。

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注1 慶良間諸島のみ少し迂回する必要があります。
※アイキャッチ画像は、Wikipedia「進貢船」よりお借りしました

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