彗星と、コロナ禍とコオロギ食

今年に入って、ZTF彗星という彗星が明るくなり、天文仲間の間で話題になっています。

ZTF彗星 (C/2022 E3)
背景の星が流れているのは、彗星を基準に写真の重ね合わせ処理をしているため。
ZTF彗星が移動する様子
1時間の彗星の動きを6秒に縮めた動画です。

彗星は、何の前触れもなく突然夜空に現れ、色や明るさ、形を変化させながら星座の中を彷徨い、やがて消え去っていきます。

この奇妙な天体をいち早く発見することは、古くから天文学の主要な目的の一つでした。

彗星の出現は君主の死や飢饉、疫病などを予告する凶兆と信じられ、人々はその出現を恐れたとされており、為政者はその来訪をいち早く知り、備えを行う必要があったというわけです。

しかしこれはあくまでも表向きの理由で、彼らの本当の目的は、聖書に記された「終末の時」を知り、聖書の予言を阻止するため、すなわち聖書への反逆だったのでしょう。


新約の歴史が終わった今、改めて聖書を読み返してみると、この記述はアレのことだったのかと思えることがあります。

ヨハネの黙示録には、以下のように「彗星」を連想させる星が登場します。

第三の天使がラッパを吹いた。
すると、松明のように燃えている大きな星が、天から落ちてきて、川という川の三分の一と、その水源の上に落ちた。

ヨハネの黙示録8章10節

第五の天使がラッパを吹いた。
すると、一つの星が天から地上へ落ちて来るのが見えた。
この星に、底なしの淵に通じる穴を開く鍵が与えられ、それが底なしの淵の穴を開くと、大きなかまどから出るような煙が穴から立ち上り、太陽も空も穴からの煙のために暗くなった。

ヨハネの黙示録9章1~2節



このうち、第五の天使の「一つの星」、私はコレではないかと考えています。

ネオワイズ彗星(C/2020 F3)

2020年7月に、肉眼でも見えるほど明るくなり話題になったネオワイズ彗星です。
宵の北西の空、北斗七星の下に見える姿は、確かに「地上に落ちる星」のように見えました。

ちょうどこの年から、いわゆる「コロナ禍」が始まったわけですが、

「底なしの淵」  = コロナ禍
「大きなかまど」 = 中国
「煙」      = ウィルス
「太陽」「空」  = 世の中

と考えると、意味が通るように思います。

そして、以下のように続きます。

そして、煙の中から、いなごの群れが地上に出て来た。
このいなごには、地に住むさそりが持っているような力が与えられた。
いなごは、地の草やどんな青物も、またどんな木も損なってはならないが、ただ、額に神の刻印を押されていない人には害を加えてもよい、と言い渡された。
殺してはいけないが、五カ月の間、苦しめることは許されたのである。
いなごが与える苦痛は、さそりが人を刺したときの苦痛のようであった。
この人々は、その期間、死にたいと思っても死ぬことができず、切に死を望んでも、死の方が逃げていく。

ヨハネの黙示録第9章3~6節

細かい部分はともかくとして、

「いなごの群れ」 = ワクチン利権者
「さそりが人を刺したときの苦痛」 = コロナワクチンによる薬害

と考えると、大方の意味が通るように思います。
いかがでしょうか?

そして、黙示録はさらに以下のように続きます。

さて、いなごの姿は、出陣の用意を整えた馬に似て、頭には金の冠に似たものを着け、顔は人間の顔のようであった。
また、髪は女の髪のようで、歯は獅子の歯のようであった。
また、胸には鉄の胸当てのようなものを着け、その羽の音は、多くの馬に引かれて戦場に急ぐ戦車の響きのようであった。更に、さそりのように、尾と針があって、この尾には五カ月の間、人に害を加える力があった。

ヨハネの黙示録9章7~10節



何やら、なぞなぞのような言葉が続きますが、私はズバリ、コレのことだと思いました。

コオロギ

邪推しすぎでしょうか?

聖書の記述が本当にコオロギのことなのかはともかくとして、イルミナティの連中が執拗にコオロギ食にこだわるのは、あながちこれが理由なのかもしれません。。

彼らも聖書を研究していますので、「人に害を加える」可能性があることは、何でも行おうと、悪あがきをしているのでしょうから。

さて、私たちは幸いにして、RAPTブログに出会うことができ、神様のご加護でコロナワクチンにもコオロギにも害されることなく、希望と平安の中で生活することができています。

どうか、多くの人たちがRAPTブログに導かれますように。

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最後に私自身のことを少し書かせていただきます。

実は、昨年末から、あまり良くない状況が続いており、ブログやインスタの更新が滞ています。
と言っても、体調のことではありません。

観念的な信仰になってはいけない。きちんと結果を残さなければいけない。
そう思い、素材は十分すぎるほど集めているのですが、いざ文章にまとめようとするとうまくできない。言葉をひねり出そうともがいているような状態です。

いくら考えても、いや待てよ、こうじゃない、そこじゃない、という気持ちが出てきてしまい、結果を残せないのです。

とにかく、突破口を開けなければならないと、もがいていたところ、最近の御言葉で、大きなヒント頂きました。

首里城のシリーズも書き上げなければなりませんが、もう少しお待ちください。

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